odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

渡部哲郎「バスクとバスク人」(平凡社新書) 国家と民族が一致しない人々のナショナリズムと自治権。

 バスクはフランスに隣接する大西洋に面したスペインの一部。地中海に面したカタルーニアもそうだけど、スペインには多数の「地方」があって、それぞれ独立した民族とみなされている。ことにバスク地方は、海や険峻な山地のために他の人たちが入りづらく、独特な言語(ヨーロッパの言語系統から独立しているという。それでも最近はスペイン語化しているとか)を使用している。

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 堀田善衛ゴヤを読むとスペインをおもにカスティーリア(マドリッド周辺で権力者を輩出するマジョリティ地域)からみたが、地方からスペインを見るために本書を読んだ(2004年初出)。

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 独特な言語を使用していて、近世までは牧畜と漁業(とくに捕鯨技術に優れる)であったとはいえ、他地域と関係なかったわけではない。11世紀ころからサンティアゴ・デ・コンポステラ参拝が流行するようになり、巡礼路にあたるバスク地方には人が良く来るようになる(堀田善衛「路上の人」)。それでも、バスクの人は家族コミュニティが強く、一族の結束は固い。特長的なのはその家族(カセリオ)には男の家主と女の家主があっていずれも長子相続。家主による直接民主主義で男女平等があった(とはいえ、長子以外は使用人扱いなので、それを良しとするか家を出るかを決断しないといけない)。そういう自給自足も、大航海時代になると、貿易で富を持つものがでて、地元の工業化を進める。(海外に行くもののなかには、スペインの植民地官僚になるものがいた。国内のマイノリティやモッブが植民地にいって、差別の被害のない場所で植民地支配の道具になるのはよくある例。)
 ことに啓蒙時代のころには有数の経済発展地域になっていた。転換するのは産業革命とナポレオンの民主主義の輸出。同族意識の強さはブルジョアの誕生を阻み、フランスとカスティーリアの権力の間で自治と独立が揺れる。結局1876年にスペインに編入され、自治権を獲得するが、フランコ政権でバスク地方は弾圧を受ける(1937年のゲルニカ無差別爆撃はその象徴。市民戦争終結後もバスク地方はスペインへの同化政策の対象になる)。なお、19世紀以降に海外に移住したバスク人は雄飛地バスク人コミュニティを作り、弾圧されるバスク人支援をしていたとか。家族コミュニティの強さは残っている(そういうコミュニティを日本人は作らないようにみえるし、海外に出て行った日本ルーツの人にも冷淡なんだよな)。
 ポストフランコ政権以後は、民族独立の運動も起こる。ひとつは武装蜂起とテロ。多くの被害者をだした(そういえば1970年ごろはIRAと並ぶ「過激派」だった)。もうひとつは公用語から外されたバスク語の教育・普及運動。ポストフランコ時代に自治権バスク語公用語使用が認められる。本書にはEU設立後の状況は書いていないので、現状はよくわからない。
 バスクは本書以外の情報を持たないので、論評なし。日本人がよく知るバスク人フランシスコ・ザビエルシモン・ボリバル(ベネゼエラ独立運動指導者)くらい。著者は日本とバスクの関わりが深いと強調するが、その周辺地域ほどの関心を日本人が持っているとは思えない。
 やはり気になるのは、バスク語復活によるナショナリズム運動であって、20世紀末には移民や外国人(非バスク語話者)労働者が来るようになる。バスク地方の就職のしやすさを思うと、地元言語習得はメリットがある。一方、強いバスクナショナリズムはマイノリティへの同化や排外につながりかねない。多文化主義バスクで可能かどうかは気になる。それは日本の参考になるはず。

 

 

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