odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

橋本毅彦「「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》 」(講談社学術文庫) 標準化は世界を便利にしたが、他人のルールや評価に強制的に従う「疎外」も生んだ。

 歴史の本を読むと、天才や努力家が何かを発明・発見しました、その結果、生活がよく(便利に、楽に、安価になど)なりましたという話がたくさんでてくる。こういう話ではその途中がすっかり忘れられてしまう。発明や発見を具体的な製品に落とし込み、大量生産工場をつくり、市場と消費者に普及させ、故障したらメンテナンスできるようにする。途中の工程に関わる人を教育し、消費者に使い方を覚えさせる。こういう仕事には天才はいない。突然のブレークスルーもほとんど起きない。でも、これらの関わる人たちの仕事なしには近現代の生活は成り立たない。そこを互換性と標準化という視点で、過去200年ほどの歴史をみる。

 なにしろ、産業革命が起きても、互換性製品を作ったり、標準化しようという考えはほとんど生まれなかった。受注はオーダーメイドで少量であり、故障したら製作者がやすりで削って対応した。消費者と生産者の距離がなかった。互換性製品を作る考えはフランス軍から起きた。たくさんの兵士に大量の銃を配布したので、手入れが簡単にできたほうがよい。戦場で修理が出来たほうがよい。そこで互換性製品を作る試みができたが職人が抵抗する。職人の気まぐれや保守思想を取っぱして互換性製品を作れるようになったのはアメリカ。ここでねじやパイプの全国規格が作られる。その動きは他の製品にも広がる。また仕様を標準化するだけでなく、性能や品質、安全基準も標準化するようになる。規格に適合していれば、他メーカーの製品を使ってもいいわけで、生産性や効率性が向上し、どの地域でも安心して使うことができる。
 標準化の考えは20世紀になってほかの分野にも広がる。規格と品質を決めてその通りに製造すればよいのは工業製品に限らない。工場の中の分業、部品調達の受注発注の仕組みもそう(フォードシステムが成功して広がる)。産業で仕事する人間の動作も研究して、最適なやり方を見出し、時間当たりの生産数や効率を上げるのに使う(テイラーシステムが成功して広がる)。
 標準化や規格を作るにあたっては、学者や製造業界などが委員会を立ちあげて決めた。しかし定めた規格が広まるには時間がかかった。職人と地方企業が抵抗する。変化が出たのは第一次世界大戦。総力戦で大量の兵器を作るために国家と軍が強制した。以後は規格の標準化は国際的になる。市場と企業のグローバル化を進めるには、ばらばらな国内規格であるより、世界的な標準規格である方がよい。そのような国際委員会ができた。21世紀にはこれに準拠していないと国際競争に参加できない(なので日本のJIS規格より厳しいISOを取得する企業が増えている)。
 標準化は我々の生活を豊かにし安全にした。そこにはふだんスポットがあたらないポジションの学者、技術者、経営者がいた。努力、ありがとう。というのではあるが、同時に標準化・規格化に抵抗した人たちもいたことも覚えておこう。まず職人たち。手作りで微細な感覚と勘でする仕事を製造機械に置き換えられ、治具や測定器を使って仕様通りにするのを嫌った。なにしろ前近代の家内制工業では出勤は自由、遅刻早退は当たり前、家の仕事(農業)があれば優先、ときには勤務中に酒を飲む。そういう暮らしをしていた人が学歴エリートの監視で決められた時間で働かないといけない。標準化が始まっても全労働者に普及するのはWW1以降。企業の経営者も抵抗する。独自規格で製造してある程度のマーケットを持っていると、製造の仕組みを入れ替えないといけない。他にも多数。なので、標準化には政府や軍の強制が必要だった。あるいはライバル企業の成功事例を見ることも必要。そんなわけで標準化という技術的なテーマから、労働者の監視システムや労使の協調/対立も見えてくるのだ。
 互換性・標準化は工業製品やインフラだけにとどまらない。すでにみたように工場やオフィスの働き方も標準化される。スポーツのルールが統一される。他人の作ったルールやスケジュールで動かなければならない。評価も他人のルールに従わないといけない。個人が自分で規範を作って行動することに制限がかかる。19世紀から人間存在は疎外され、堕落していると批判されているが、それは生産と行政による互換性と標準化の強制から説明できる。

 本書の記述の大半は欧米、ことにアメリカとイギリス、だが、日本の事例もでてくる。戦前の日本では標準化は遅々として進まない。企業に意欲がないことと、主要な発注元である軍も関心がなかった。たとえば航空機ではさまざまな要求で新型機が設計され、既存機でも仕様変更が著しい。少量多品種の生産だったので、標準化する意欲も資本もなかった。そのうえ職人の手仕事に依存し、製造機械(フライス盤とかプレス機など)を購入したり開発しなかった。そのために、対英米開戦後に大量生産が要求されても応じることができなかった。日本の敗戦の理由の一つ。
 そんな日本に標準化を指導したのが占領軍。朝鮮戦争が始まってから、米軍指導で標準化が行われた。それを覚えた日本人が関係する他企業に広めていった。途中、カンバン方式という下請けを含めた複数企業間の調達の最適化を開発したりした。
 日本が工業製品を製造するようになっても、海外輸出はむずかしい。ベトナム戦争がはじまるとアメリカ西海岸からコンテナ船がベトナムに物資を運んだ。帰りにカラになるので、日本に立ち寄って工業製品などを積んで西海岸に運んだ。60年代に日本の対米輸出が増えた理由がこのせいなんだって! 60年代の高度経済成長もアメリカ主導であった、という感想。

 

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