odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フレドリック・ブラウン「火星人、ゴーホーム」(ハヤカワ文庫)

 1964年のある日、ヤツらがやってきた。そいつらは全米を震撼させた。そいつらとは、

「かれらは一人の例外もなく、口が悪く、挑戦的で、こうるさくて、胸糞がわるくなるようで、横暴で、喧嘩好きで、辛辣で、不作法でにくったらしく、礼儀も知らず、呪わしく、悪魔的で、軽口ばかりたたき、おっちょこちょいで、うとましく、憎しみと敵意にみち、お天気屋で、傲慢で、分別にかけ、おしゃべりで、人を人ともおもわない、やくざな、実にもって興ざめな輩だった。かれらは目つきがいやらしく、人をむかむかさせ、つむじ曲がりで、金棒曳きで、品性下劣で、吐き気がしそうで、あまのじゃくで、ことごとに拗ねてみせ、ひねくれ者で、争いを好み、乱暴で、皮肉屋で、気難しく、平気で人を裏切り、残忍このうえなく、野蛮で、ゆかしさにとぼしく、癇癪持ちで、他星人(よそもの)ぎらいで、ぺちゃくちゃと騒々しく、わざと人間に嫌われるように、そして出くわす相手はだれかれの見境なく困らせてやろうと、互いにしのぎをけずっているのだった(P83-84)。」

という罵倒語のテンプレートになるような火星人なのである。このいやな火星人はティム・バートン監督「マーズ・アタック」で踏襲されているので、ぜひ参照のこと。

 紹介は以上で完了。あとはここからはじまるどたばた騒ぎを楽しんでくれい。
・コミュニケーション不能というのはSFの一つのテーマ。ここを推し進めた筒井康隆の諸作を読んでいる人には懐かしいのではないかな。たとえば「最悪の接触」「やぶれかぶれのオロ氏」「農協月へ行く」「虚航船団」「虚人たち」みたいな。あるいは小松左京の「明日泥俸」「ゴエモンのニッポン日記」など。なにしろ「火星人」は地球人の完全な他者になるわけだから、その視点でみれば風刺もドタバタも自ずと生まれる次第。
・みためはどたばたコメディになるのかな。でもいろいろ深読みができるわけで、たとえば火星人は透視の能力をもっていて、金庫や秘密の部屋に隠した文書その他をその場で読めてしまうし、心に隠していることもわかってしまう。それを必ず嘲笑といっしょに口にする。その結果、国家機密とか企業秘密というのがなくなる。まあ、それで人々がsexをしなくなるとか、娯楽産業がなくなるというのもおもしろいけど、国家は軍を解体し、しかも軍備をなくしてしまう。人々の所有する情報に差異がなくなると紛争がなくなる、というのが皮肉。書かれた時期(1955年初出)は冷戦とマッカーシズムの最中。
・上記に引用した火星人はなるほど胸糞の悪くなるような連中なんだが、彼らなりに善意ではあるわけだ。いたずらをして、建前をぶち壊すだけで、とりあえず人に直接危害を加えるわけではないので。彼らの挑発に乗った人間がかっとしたり、はっとしたりする過失や衝動の結果、実害が生じているのだ。火星人の「善意」は人間にまったく伝わらないので、大騒動になる。この図式を、グリーン「おとなしいアメリカ人」に重ね合わせれば、火星人というのはアメリカ国外におけるアメリカ人の振る舞いのカリカチュアであるといえる。なるほど、ベトナムで、キューバで、中南米諸国で、イスラム諸国では、「アメリカ」はこの火星人のように思われているのかもしれない。この火星人は120日ほど地球を混乱させたあと、突然消えたけど、読者の現実世界ではそうはいかない。
・主人公のルーク・デヴァルウは売れないSF作家。彼は度重なる火星人とのコンタクトで精神に変調をきたし、独我論に至る。すなわち火星人は自分の精神の生み出した妄想が実体化したもので、<この私>にとってだけ存在する。それ以外の存在は認識不可能である、と。それで最初に出現した山奥のコテージにこもって、火星人登場を再現させようと躍起になる(それが可能になると火星人を消すことが可能であるというわけで)。まあ、文学理論でいうと登場人物が作り出した登場人物が同じレベルで登場し、「物語」の基盤を揺るがせるわけだ。念の入ったことに最後のページには作者が現れて、ルークは私が創造したものですよ、と宣言してさらに混乱させる。しかも登場する作者は、実存在のブラウンがタイプした作中人物のひとりなので、この揺らぎというかレベルの混乱は堂々巡りというか、重ねあわせた鏡に無限の鏡像が続いているようになっていて……。
 こんな読み方もできてしまうし、しかし読書中は各人のドタバタにほくそえんだり、哄笑をあげたりするわけで、なんとも奇怪な傑作。さすがに書かれた時代が半世紀以上まえとなると、古いという人もでるかもしれない。