odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

修道士マルクス「西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄」(講談社学術文庫) 中世に流行った〈煉獄〉巡礼案内文書。「存在の大いなる連鎖」で説明すればもっとわかりやすくなるはず。

 ほぼ毎日の高速音読で、ダンテ「神曲」を読んでいる(2025年5~7月で読了)。青空文庫にある山川丙三郎の文語訳。これは俺のごときが感想を書いても仕方ないのでスルー。現代語に編集したのを読んだことがあるので、それを代用する。
2022/07/28 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-1「地獄篇」 1300年
2022/07/26 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-2「浄罪篇」 1300年
2022/07/25 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-3「天堂篇」 1300年

 

 さて、ここで取り上げるのは、ダンテより前に書かれた煉獄遍歴譚。12世紀アイルランドで修道士が書いたラテン語の文書。なかに神学めいた説教があるのは、修道士が書いたため。これを会衆の前で朗読することで教化をもくろむためだろうとも妄想。

トゥヌクダルスの幻視 ・・・ 貴族の放蕩息子にトゥヌクダルスというものがいた。普段から教会は無視、信仰にもあつくない。そんな男があるとき、食事中に失神してしまった。三日三晩体は硬直していたが、心臓の熱を感じたので埋葬はしなかった。するとトゥヌクダルスが回復すると、篤信者に変貌し、すべての財産を教会に寄付してしまった。後日、トゥヌクダルスは臨死体験中のできごとを語りだす。ということで、裸の魂になったトゥヌクダルスのまえに天使が現れ、死後の九か所の拷問場と九か所の栄光の場を案内されたのであった。

パトリキウスの煉獄 ・・・ 肉体から魂が離脱すると、生前の功徳や罪に応じて天使または悪霊が魂の行先の案内をする。行き場が決まるまでの煉獄(ブルガトリウム)に行った人はほとんど帰ってこない。そこで騎士オウェインは煉獄への入坑(地底にあるので)を希望した。修道僧は引き留めたが、騎士の決意は固い(騎士道の時代なので騎士からすると煉獄巡りは実践のつもり)。煉獄にはいると御使いがこの先を説明する(ガイド付きなんだね)。このあと悪霊が現れ、様々な拷問によって騎士を試す。そのつど騎士はイエスの名を称えることによって悪霊退散・試練の克服となる(なんてコンビニエンス!)。すべての拷問のあと、騎士は地上の楽園・憩いの園に到達。大司教らの説教を聞いて信仰をさらに強め(憩いの園の描写はほとんど地上の教会に一致)、ついに勝利を得る。しかし天使たちは騎士に地上への帰還を促し、ここでの見聞を他の人びとにつたえるよう新たな使命を与える(これはダンテ「神曲」でも同じ)。

 

 中世の幻想譚なので、近代小説のテクニックや心理描写はまったくない。読みなれていない人にはたいくつかも。逆に「ヨハネ黙示録」や新約聖書外伝を読んでいる人にはいいかも。
 読書中に参考にしたのは、アーサー・O・ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」(KINDLE版)。西洋はプラトン以来、流出論とそこから導かれる充満の原理と連続性の原理を考え続けている。その視点を持つと、これらの中世幻想譚も流出論に基づいて書かれているのがわかる。
・当然これらは教化や布教の道具として書かれ朗読されてきた。なので、善と愛は近代の日常言語の意味とは別の意味を持っていることに注意しよう。天国(上記の幻想譚では「憩いの園」「栄光の場」などとされ「天国」「天堂」は使われない)の様子は、個人が解放されるのではなく、神の栄光を讃美する魂のひとつになること。司教や天使らのありがたい説教を聞き、法悦境にはいっているのだ。おそらくゴシック教会の会堂の様子に似ている。
(ダンテの「神曲」はこの二作品の影響を受けたという。その真偽は専門家の研究にまかせるとして、俺はこういう地獄と天国往きの幻想譚がそこかしこで語られ、テキストにされていたのだと妄想。さまざまなバージョンの異界行脚の幻想譚が西洋中にあったのだ。「トリスタン」伝説、「ジークフリート」伝説などが各種バージョンあったのと同じ。)
(影響は近世まで続いたとも妄想。エマニュエル・スウェデンボルグ「霊界からの手記」(リュウ・ブックス) 1750?年も、幻想譚によく似た構成になっている。)
・地獄の拷問はとてもリアルに描写されている。およそ人体を棄損する行為が網羅。博覧会のようだ。そしてこの拷問は14~16世紀の異端審問や魔女狩りで行われた。あまりのむごさに絶句する行為なのであるが、中世の人びとからすると、罪人の罪を救済することに他ならない。地獄で受ける拷問を地上で受けることで、永遠の罰から逃れさせることになると信じていたのだろう。
(これは俺には意外な発見。テキストを読むときに、その時代の読み方に合わせるように解釈すると、その時代の意外な姿が見えてくる。)
・「トゥヌクダルスの幻視」では地獄があることの意味が説明されている。地獄を見れば神を礼賛し愛するようになるから。懲罰を受けることで創造主に忠実になるから。たしかに人間は不完全でクズな存在だ。地表を一皮むけば、地下には地獄がある。一方、神や創造主が「在る」天ははるかかなたで人間には行きようがない。そんな人間でも罪を自覚し神を愛すれば上昇の可能性はある。なので勤めよ、というのだ。
・でも、と思う天邪鬼な人は当時もいたに違いない。神は完全性と善性をもっているのに、どうしてこんな不完全でクズな人間を作ったのか。あまつさえその不完全でクズな存在を死後に選別し、地獄と天国に振り分けるようなバカなまねをどうしてするのか。最初からもっと天にちかいところに人間を作ることはできなかったのか。この底辺にいる不完全でクズな存在はどうすれば、いつ天に行くことができるのか。類としての、集団としての人間がより優れた存在になることは可能なのか。
(このような流出論と「存在の大いなる連鎖」批判はラヴジョイの前掲書にこれでもかというくらいにあるので、ぜひ読みましょう。西洋の哲学と文学を理解する解像度がぐんとあがります。)
 以上を本書解説を読む前に書いた。これから解説を読む。

 

 解説を読んだ。
 書かれたのは12世紀のなかば。インテリや修道僧などではアラビア語文献をラテン語翻訳するルネサンスが進行していた。これらにはあまり影響はなさそう(と素人がいう)。重要なのは10世紀ころから巡礼が行われていた。アイルランドには修道院に敷設された施設が〈煉獄〉と名付けられ、案内人のもとに巡礼することが流行っていた。上の「幻想譚」「煉獄譚」などは巡礼を促す書物であり、同時に手引書(「煉獄譚」のなかに地獄に入る前の心構えについて長い説教がある)であった。このような巡礼案内文書は多数つくられたらしい。なので、物語は似たようなものになったのだろう。
 地獄と天国の構造、中世の世界地図などの説明は「存在の大いなる連鎖」を利用するともっと明快になると思う。空間の認識方法が中世は現代とはぜんぜん違う。その前提にあるのが「存在の大いなる鎖」なのだ。

 

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