odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

伊藤博明「ルネサンスの神秘思想」(講談社学術文庫) ギリシャ思想でキリスト教神学を補強補完する。異教の神々の賛美や霊的存在の詩人もこの宗教運動に関与する。

 12世紀ルネサンスのあとの15世紀ルネサンス。中心はイタリア。通常は人文学や美術の成果をみたり、中世都市とは異なる商業都市に注目する。でも著者はこの時期のイタリア思想、なかでも神秘思想に傾倒する。



 神秘主義や異端思想に傾倒する人は「木を見て森を見ず」になりがちといい、著者自身が木を見る、特に大木をという姿勢で書いている。本書初出の1990年代当時、ルネサンス期のイタリア思想の翻訳がほぼないという事情があるようだ。俺のような素人ではあまりに細かすぎる情報はかえって木すらみえなくなる。そこで、著者はいらないというだろう「森」かそれよりひろい景観を話題にしないわけにはいかない。
 すなわち、ヨーロッパは十字軍などを経て「東」を知るようになる。モンゴル帝国が14世紀にユーラシアを横断する大帝国を作った。関所や関税を撤廃したので、東西の交易が盛んになった。東西交易はペスト大流行をもたらす大被害にもなったのだが、人口減少と生産減からヨーロッパが立ち直ると、交易が再開される。ヨーロッパの窓口はイタリア商人。モノだけでなく、人と知識を運んだ。おりよくビザンチン帝国でも学問が栄えていた。それをイタリアの知識人は学んだ。アラビア語ラテン語に翻訳する。ギリシャ語やラテン語を学んで原本を読む人が生まれる。こうした人々による知識運動や成果をルネサンスという(ちなみに、ペトラルカ他の知識人をユマニスト(ヒューマニスト)というが、彼らはアマチュアの研究者ではない。学識を生業とする職業。教師、行政官、外交官、秘書、書記などを務めた)。
 新しい文書を読んだのは、キリスト教神学にプラトンアリストテレスを融合させるため。それでより説得的な神学を構築できると考えたのだ。どういう体系化というと、たぶんこんな感じ。当時のプラトン主義者で「プレトン」を名乗った異端の学者がこういっている。

全宇宙は、ゼウスによって創造され、永遠であり、それは始まりもなく終わりもない。宇宙は、単一の全体へと組織づけられた、多くの要素から構成されている。宇宙は、もっとも完全な創造者によってもっとも完全な仕方で創造されており、それに何ひとつ付け加えるべきものはない。宇宙は、永遠に留まり、その始源の形姿において不変である。人間の魂は、天上では不死で永遠であるという点において、神々の魂と似ている。だがそれは、つねに死すべき身体と結びつけられている。われわれと神々との類縁性によって、われわれは善を生の真正なる目的と見なす。神々はわれわれの幸福をわれわれの不死なる部分に置き、それは人間の本性の中でも至上の部分なのである。 (p.76). 

 ゼウスを創造主や〈神〉に置き換えれば、とてもよい「存在の大いなる連鎖」の要約です。これが基本系で、学者たちはここにさまざまな考えを付け加えていった。古代の神学にギリシャ哲学を加えて学問の大統合を図ろうとした。
 当時の学者・知識人はプラトンアリストテレスだけを読んでいたわけではない。他にもあまたのギリシャ哲学者の文献を読んだ。その中で異教の神々のことを書いた文献に注目した人たちがいた。それが本書で「神秘思想」家として取り上げられた人たち。いちいち名前は記さない。彼らが好んだのは、ヘルメス・トリスメキストス、ゾロアスターオルフェウスピュタゴラスなど。彼らは存命中に宗教集団を作っていたとされる。他にもエジプトのヒエログラフに関心をもったり、ユダヤ教カバラを紹介したり(イスラム教のカバラも研究した)した。そのような知的運動を神秘主義と総称する。なぜ異端なのか。
 キリスト教では神と人間は直接感応することができない。イエスと教会を媒介にしないと神や異世界とつながることはできない。でも異教集団では、人間が直接神と感応することができた。その方法を取り入れたかったのだ。
 このような異端思想家(ジャンフランチェスコ)の一人が学問の分類についてこんなことをいう(1496年)。

諸学問・諸学芸の中で、自然学、論理学、形而上学は、聖書研究にとって助力となる何らかの価値を有している。他方、幾何学、算術、詩は、聖書研究とはほとんど関係を有していない (pp.372-373)

 ここでいう自然学は天体運行を観測して解釈する学問のこと。あわせて宇宙の構造を神学的哲学的に解明することもやっていた。聖書研究に役立つとされた学問はうえのまとめにある「存在の大いなる連鎖」を補強補完するもの。しかし幾何学・算術・詩は聖書研究には関係を有さないとする。上のような神と人間の関係を集約する教会に対立するのだ。天体観測をしながら幾何学や算術を研究していたコペルニクスが聖職者であるとはいえ、職格は低いものだったのを思い出す。ここで詩が取り上げられているのは、詩人は神の霊感を授かった神的存在とされるから。詩を作るのは宗教活動にほかならない。ペトラルカの詩作と神秘思想家のとの間には、それほど大きな距離があいているわけではない。
(補足すると、聖書研究に役立つとされた学問は大学で教えていたが、関係を有さないとされた学問は職人や技術者が行うもの。職の違いがそのまま価値の差になっている)。
 新しい文化や思想が入ってくると、人びとは受容したり反発したりして、さまざまなことを考えるようになる。それを書く人がでる。思想の多様性が広がる。それも流通して他の人がまた別の考えを公表する。多様性が爆発的に広がる。この経験を持つことで最初の「表現の自由」問題が生まれたのではないかな。
 神秘主義や異端の研究者は対象の面白さに没入して全体像を描くことがおざなりになりがちだけど、こうやってもっと広い情報を外挿しても、ルネサンスの神秘思想は面白い。というか神秘思想などを通すとオーソドックスな思想のかたちが見えてくる。その異様さと過去から現代までヨーロッパの人びとの思考を規定しているのがわかる。著者のように木の面白さに没入してもいいけど、それだとヨーロッパの森が見えなくなるので、参考情報を追加してみた。
 モンゴル帝国ユーラシア大陸の東西交流を加速した。東の活版印刷が入る。その運用が商業化されるのは1500年以降16世紀になってから。アラビア由来のガラス制作も次第に技術が向上していく。観察と実験のツールがよくなっていくと今度は技術が思想の多様性を引っ張っていく。「行き過ぎた」異端はオーソドックスによる排除の対象になる。それはルネサンスの次の時代の話。

(目次)
プロローグ ジョヴァンニ・ダ・コレッジョ、あるいは<神々の再生>
第一部 <神々の再生>の歴史
 第一章 蘇るオリュンポス神――詩の復興
 第二章 異教哲学の再生
 第三章 プラトン主義とキリスト教
 第四章 <哲学的平和>の夢
第二部 <神々の再生>の諸相
 第五章 エジプトの誘惑
 第六章 <古代神学>と魔術
 第七章 占星術と宮廷芸術
 第八章 カバラの秘儀
エピローグ ジャンフランチェスコ・ピーコ、あるいは<神々の黄昏>

 

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