前回読んだとき(2020/02/25 フョードル・ドストエフスキー「分身(二重人格)」(河出書房) 1846年)はさっぱりわからなかったので、訳を代えて再読。今度はわかった(気が少しはする)。

前回は「われらの主人公」であるゴリャートキン氏の精神(というかナラティブ)は「正常」であり、世界が崩壊していったのであるかと思ったのだが、これは誤り。冒頭で目を覚ましたときからゴリャートキン氏の人格は二つに分裂していて、おしゃべりをしているのは世界と融和できない(すなわち世界の側からは「狂気」とみなされる)人格のほうだった。
これを見抜けなかった自分は大ボケ。
wikiでは、第4章の舞踏会でクラーラに触れようとして妨げられたときから崩壊したように説明されているようだが、違うと思うな。すでに冒頭から彼は自分が何者であるかわからないし、まるっきり私じゃないように思っているのだ。そのあと行きつけの内科医を訪問するが、その時にも先に何をしゃべるか準備をしないとしゃべれない。心と体が一致しなくなって、どちらも制御不能な状態になっているのだ。
(目覚めたときに、自己同一性が保てない/懐疑するところから、筒井康隆「虚人たち」、ジョン・バース「旅路の果て」、PKD「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」などを思いだす。)
その後も、ゴリャートキン氏は二時間も立ち尽くしていたり、熱中してどこにいるのかわからなくなったり、時間があっという間に過ぎたのがわかって驚いたり、忘れ物をしょっちゅうしたりと、放心することが多くなる。放心から覚めると、今度は衝動的に行動してしまう。雨の夜を数時間も徘徊したり、他人と話している最中にふいにどこかに行こうとしたり、使わない馬車を借りたり。何をしたいかがはっきりしないから、周囲の人からすると支離滅裂で混乱を作り出しているようにしか見えない(それに呆れたのか、下男のペトルーシカは愛想をつかして出ていってしまう)。
分裂する前のゴリャートキン氏はたぶん受けはよさそうな九等官吏だったのだ。彼が幻視する自分にそっくりの「新ゴリャートキン氏」のような人格だった。上司と如才なくつきあい、同僚と良好な関係を保ち、それでいて他人には冷たそう。出世しそうな上司に目をかけられ、家を訪問して美しい娘を紹介されたりもしたのだろう。恋心をもってアプローチしたが、こっぴどくフラれる事件があったはずだ(それこそ「白夜」のようなできごとがあったに違いない)。第4章でクラーラに触れようとして話し合いにもならずに放り出されたのは、同じことを何度も繰り返していたせいだ。ゴリャートキン氏には説得も脅しもきかないので(そうされた時の記憶を持たないため)、クラーラの周囲は強硬的な手段になっている。ゴリャートキン氏はただ振られたり追い出されたりした記憶はもっているので、舞踏会会場の奥から入り込み2時間も待ち伏せしている。他にも原因がありそうだが、それらの経験がゴリャートキン氏の人格を分裂させたのだろう。しばらくは隠されていたほうの人格が、ある朝ゴリャートキン氏をいわば「乗っ取った」。
このような行動性向から(旧)ゴリャートキン氏を自意識過剰と説明することが多いようだが、それは誤りだと思う。ゴリャートキン氏が自分そっくりの男を見つけた翌朝の述懐。
「ゴリャートキン氏は、どこかでなにかをたくらんでいる人のいることを、またそこには誰か替え玉が用意されているということを、もうずっとずっと前から承知していたのである(P96)」
小説が始まる前からゴリャートキン氏は世界から疎外されていることを知っていて、しかも自分の人格が分裂していると思っていた。世界が消え、複数の人格があるとなると、観察対象は自分の中の別の人格しかない。彼はできる限り合理的・科学的に観察して、論理的に語ろうとしているのだ。それは自分を語ることに他ならないので、はた目からは自分語りをしているようにしかみえない。
新たに生まれた「旧ゴリャートキン氏」(ややこしいがドスト氏がそう書いているので使わざるをえない)の人格は猜疑心が強く、周囲の人が敵対的に思え、彼に悪意を持っていじわるをしていると思い込む。何かをする前にありえない結果を思ってくよくよし、どうすればいいかを際限なくシミュレートする。いざ行動しようとすると、心が体の動きを止め、しかし衝動的に動き出してしまう。シミュレートしたことはどこかに飛んでしまって、しどろもどろになり、意味のないことを延々とくどくどいう。そして体を制御できなくなって、へぼな失敗をしでかしてしまう。周囲の視線を集めると、今度は羞恥でいっぱいになってその場から逃げ出し、失策したこととそれがどう思われたかを際限なく思い煩う。
ある種の人には良くある行動性向だ。なにしろドスト氏の小説のあれこれのキャラを思い出す。ドジでへまなばかりの失態を繰り返すのは同時期の「ポルズンコフ」。将来と過去の失策を思い煩う不安神経症は、地下生活者やラスコーリニコフ、スチェパン氏。分裂した別の人格が自分の前に現れる幻視はスヴィドリガイエフにイワン・カラマーゾフ。このゴリャートキン氏は深い思想を持っているわけではないしキリスト教に傾倒しているわけでもないので、滑稽さが目立つが、後の小説(ことにシベリア流刑以降のもの)になると、分身や二重人格のテーマはとんでもない深みに達する。
世間や社会からはみ出た(疎外された)「旧」とされるゴリャートキン氏は他人への関心や共感を持たなくなり、自分の価値を低く見ているので、これはやはりモッブ(@アーレント)という新しい階層を描いたと知れる。いやアーレントの100年まえにモッブの特長を摘出しえたドスト氏の慧眼だ(ほぼ同時期でドスト氏より早くエドガー・A・ポーが「天邪鬼」「告げ口心臓」「黒猫」などでモッブ的人格を描いている。二人ともすごい。
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2025/02/25 フョードル・ドストエフスキー「二重人格」(岩波文庫)-2 よそよそしいペテルブルクでゴリャートキン氏は分裂する。 1846年に続く