ドストエフスキー
政治的なもの、論争的なものの続き。たいていは雑誌に匿名で発表されたもの。内容などからドスト氏の筆になるものと研究者によって認定された。 理論家の二つの陣営 1862.02 ・・・ ペテルブルグの論壇批評。西洋派とスラブ派の両方をけなす。匿名の文章で、…
フョードル・ドストエフスキー エドガー・ポーの三つの短編 エドガー・ポーの二、三の短編は、すでにロシヤ語に翻訳されて、わが国の雑誌に掲載された。われわれはまた新しく三つの短編を読者に捧げる。彼はじつに奇妙な作家である、――大きな才能を持っては…
「第2部」に収録されたのは、思想や文芸批評など。 土地主義宣言 1861.01から ・・・ 兄ミハイルの主宰した雑誌の趣旨を説明する文章(寄稿者にはツルゲーネフがいた。のちにドスト氏はツルゲーネフと仲違い)。農奴解放でロシアは新しい時代になったが、「…
ボボーク 今度は『ある男の手紀』を掲戦することにしよう。それはわたしではない。まったく別な人なのである。これ以上の前置きは不必要と思う。 『ある男の手記』 セミョーン・アルダリオーノヴィチが、おとといわたしをつかまえてだしぬけに、 「ねえ、イ…
「作家の日記」は「本来の日記ではなく、雑誌『市民』でドストエフスキーが担当した文芸欄(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評(トルストイ『アンナ・カレーニナ』を絶賛)、政治・社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教…
キリストのヨルカに召されし少年 けれど、わたしは小説家であるから、どうやら自分でも一つの「物語」を創作したようだ。なぜ「ようだ」などと書くのかといえば、なにしろわたしは創作したことは自分でもたしかに知っていながら、それでもこれはどこかで、ほ…
百姓マレイ しかし、こんなprofessions de foi(信条声明)を読むのは、退屈至極なことと思うから、わたしはある一つのアネクドートを語ろうと思う。もっとも、アネクドートというのはあたらない。要するに、一つの遠い昔の思い出にすぎないのだが、わたしは…
百歳の老婆 その朝、わたしは大へん遅くなりました。――この間ある婦人がわたしにこんな話をした。――で、家を出たのは、もうかれこれ午ごろでした。しかも、その時にかぎって、まるでわざと狙ったように、用事がたくさんたまっていました。ちょうどニコラエフ…
しばらく休止していて、再開は1876年から。すでに「未成年」を上梓している。ここからしばらくは「作家の日記」に注力していて、「カラマーゾフの兄弟」の取材を始めていたころかしら。というのも、出てくるトピックに子供の虐待(および男性農民による女性…
4 宣告 ここでついでに、退屈のために自殺したある男、もちろん、唯物論者のある考察をお目にかけよう。 「……まったくのところ、いったい自然はどういう権利があって、何かえたいの知れない永遠の法則のために、このおれを世の中へ生み出したのだろう?おれ…
おとなしい女――空想的な物語―― 著者より わたしはまずもって読者諸君に、今度、いつもの形式をとった『日記』の代わりに、一編の小説のみを供することについて、お許しを願わねばならぬこととなった。しかしながら、事実一か月の大部分、わたしはこの小説に…
フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第1章(米川正夫訳)の続き。 第2章 1 傲慢の夢 ルケリヤはたった今、このままわたしのところに住みつこうと思わない、奥さんの葬式がすんだら、早速お暇をいただくと言明した。わたしは五分ばかりひざまつい…
上半期から「近東問題」が話題になっているが、これは露土戦争(1877-78年)を控えてのロシアとトルコの緊張を指してのこと。調べないで、記述から推測されることを書くと(ドスト氏がちゃんとレポートしないので)、オスマン・トルコが勢力拡張をめざしてバ…
3 ロシヤの誕刺文学 処女地 終焉の歌 古い思い出 わたしは今月文学、つまり美文学、「純文学」にも精進した。そして、なにやかや夢中になって読破した。ついでながら、わたしはさきごろロシヤの調刺文学、――といって、現代の、今日のわが調刺文学なのである…
おかしな人間の夢 ――空想的な物語―― おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだといっている。もしおれが依然として旧のごとく、やつらにとっておかしな人間でなくなったとすれば、これは、位があがったというものだ。だが、もうおれは今さら怒ら…
下巻は1877年から。近東問題は急を呼び、ついには露土戦争の開始にいたる。 そこでドスト氏は、汎スラブ主義と反ユダヤ主義を強く主張するようになる。ことに3月号は前編が愛国主義的な論。すなわち、この戦争は政党であり、コンスタンチノーブルはロシア領…
個人雑誌としての「作家の日記」。1877年夏ごろに、ドスト氏は体調不良を覚え、同年内の中止を決める。最終号では翌年から長編の連載を開始すると予告していたが、実際は1879年から開始された(「カラマーゾフの兄弟」)。 「作家の日記」を発行するにあたっ…
第2章 プーシキン論 六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会においてなされたる演説 プーシキンはなみなみならぬ現象である、おそらくロシヤ精神の唯一の現われであろう、とゴーゴリはいった。わたしはそれに加えて、予言的現象であるといおう。しかり、彼の…
一八八〇年八月 第1章 後掲『プーシキンに関する演説』についての釈明 『作家の日記』の本号(一八八〇年の唯一号)のおもなる内容をなす、次にかかげるプーシキンとその意義に関するわたしの演説は、本年六月八日、ロシヤ文学愛好者協会の大会で、多数の聴…
「カラマーゾフの兄弟」連載のさなかの1880年と81年に「作家の日記」が再開された。 1880年はプーシキン論(1880年6月8日、ロシア文学愛好者協会大会での演説)。「作家の日記」収録にあたって、ドスト氏は「釈明」を書いている。それによると、ドスト氏は演…
河出書房でドストエフスキーの個人訳全集を出版した訳者による研究書(全集別巻)。「ドストエーフスキイ」の表記は訳者による。 第1部は生涯。家族や知人、友人の記録を参照しながら、生涯のできごとを記載する。今回、「貧しき人々」からだいたい発表順に…
米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-2 個人約全集を出版した訳者による研究書。第2部は作品論。ロシアの特殊事情を無視した普遍化・象徴化。2019/11/26 米川正夫「ドストエーフスキイ研究」(河出書房)-1 1958年の続き 続いて第2部は作品論。…
レフ・シェストフ(1866年2月12日(ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア出身、ドイツに住んだ哲学者、文芸評論家。本書によるドストエフスキー読解は戦前の若者に大きな影響を与えたという。そういう歴史的な古典を、古本屋で河上徹太郎訳の文庫…
2019/11/22 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 1903年の続き 続いて後半の論文。 ニーチェ ・・・ ニーチェもまたドスト氏と同じく苦悩と罪人を考えた人。その思想の経歴には似たところがある。ドスト氏のシベリア流刑のように、ニーチェは師で…
河出書房新社が1970年代に出した有名作家の論文・エッセーのまとめ。なくなるまでに国内外の作家30人くらいが出たのではなかったかな。夏目漱石とドスト氏だけが2冊出た。需要が多かったわけだ。タイトルの「ドストエーフスキイ」は、この出版社で出してい…
2019/11/19 河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)-1 1976年 もうすこし具体的な問題を取り上げた論文を読む。全体の10%に満たない文章のほうが重要だった。 ドストエフスキー(E・H・カー)1931 ・・・ 歴史家カーの最初の本であるドスト氏の伝…
2007年の病気療養中の3月から翌月にかけて、中学生の時に死ぬまでに一度読み通すという決心をした本を集中的に読んだ。マルクス「資本論第1巻(岩波文庫1~3)」、埴谷雄高「死霊」、ドストエフスキー「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」。毎日13-14時間を…
「カラマーゾフの兄弟」は米川正夫訳のを、古い河出書房版全集で、たしか5日間で読んだのではなかったかな。療養中だったもので、それこそ一日に10時間くらい読んでいたのだ。こういう読書だと飽きてくる(小説の内容にも読書という行為にも)のだが、そこは…
「罪と罰」を読んだのは中学3年生の2月。高校受験の直前。もちろんミステリないしサスペンスとしてしか読んでいない。その主題の豊富さや深さなど気づいているはずもない。そろそろ再読しようと考えているので、解説書を読む。 1.精巧なからくり装置 ・・・…