odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小田実「状況から」(岩波書店)

 1973年に雑誌「世界」に連載された論文集(この人の書いた文章は、つねに講談とか漫談のような軽い口調がでているので、堅苦しい印象をもつ「論文」と呼ぶのはふさわしくない。それに論文というほどがっちりとした構成があるわけでもないし)。同時期に大江健三郎が「状況へ」というタイトルのエッセイを連載していた。
 当時をざっと概括すると、前年に札幌オリンピック連合赤軍事件などがあって、ニクソンのドルショックと石油危機があり、それをうけた不況とインフレがあり、ベトナム戦争は膠着していて戦闘とパリ和平会談が同時進行していた。田中角栄が首相になり列島改造論がうたわれ、キッシンジャーの後を追って北京にいって毛沢東と会談をした。ウルトラマンエースが放送されて、天地真理西城秀樹フィンガー5がアイドルだった。

「平和」と「和平」 ・・・ 権力がなにかを言い当てるのは難しいが、端的には状況を作り出し、押し付けるのが権力。彼らの手にかかるとことばの意味がすりかえられる。彼らの都合のよいように。
土建屋の前のビーチ・パラソル ・・・ 権力者はおうおうにして巨大な建物を建てる。とりわけ戦争勝利の記念碑と軍隊の閲兵式用の建物。そういう建物の中にこもると人びとの暮らし、考えと離れてしまう。権力に攻する人びとの考えだと、オーストラリアのアポリジニーのようにビーチパラソルのようなものになる(彼らは国会議事堂の前に「大使館」をそのように作った)。場所が意識を決定するから、政治に関する議論は国会議事堂ではなくてテントでもって、しかも問題の起きている現場でやったらどうか(のちに井上ひさし吉里吉里人」で国会議事堂車なるものを考案した)。
青木周蔵とは誰か ・・・ 巨大な権力者だけでなく「一課長」「一小使」も権力を持っている。彼かの権力はピラミッドの一部なのではなく、ピラミッドの権力と同等なのだ。このピラミッドの権力は責任の拡散、消滅をもたらす。また、こういう権力者には「ナンバートゥー」に保身しながら、「ナンバーワン」と同じようにものを考え、自分だけ「ナンバーワン」になりたい、していただきたい「アンクル・トム主義」がある。明治の官僚は欧米の「ナンバーワン」に取り入れられようとして、自分を欧化していき、周辺アジアを蔑視したという過去がある。それを明治の典型的な官僚・青木周蔵にみることができる。
「法人資本主義」の壁 ・・・ 多くの人は「カイシャ」で働くが、これは奇妙な代物。カイシャの不正義に対して反対することができず、むしろ率先してそれを行う。そのとき、公(といっても天下国家ではなくせいぜい「カイシャ」)の立場にも、私の立場にもヌエのように身をずらして、保身する。どうにかならんか。あと日本の「会社」「資本主義」は国家の御用商人として作られた。
最小限の礼儀 ・・・ 礼儀は相手の自主性を尊重するところから始まり、思いやりをはせ、同情し、身銭を切ること。礼儀は対等の関係で起こる。作法は上下の関係で起こり、多くは憐憫、自分を高みにおくこと、になる。このようにみるとき、戦争を仕掛けたり、援助するものが「復興」や「開発」を申し出るというのはいかに礼儀知らずか。その最たる例が、ニクソン田中角栄昭和天皇
ケイダンレンにデモをしよう ・・・ ケイダンレンはベトナム停戦交渉がはじまったときに「祝停戦。これからは復興」と垂れ幕を掲げた。なんという破廉恥。それは放火犯が火事にあった家に再建の援助をしようというようなものだ。またケイダンレンの傘下にある企業の労働者よ、あんたたちは仕事でこれらの国の弱い人をさらに痛めつける行為に対し何を考えているのか。それを恥と思う人は、アジアの弱い人との連帯を実行せよ。
暴力団」と「ポリス」と「人びと」 ・・・ 風邪をひいて途中で放置されたままで発表した文章。短いのでパス。
「自まえの旅券」の連帯 ・・・ あるオーストラリア生まれの(肌の黒い)人がいる。彼の持っている旅券はただの大学ノートだが、キューバ北朝鮮が印鑑と収入印紙を押すことでどの国でも通用した。国家の発行しない自前の旅券もどこかの国が承認すると、ほかの国家でも通用する(すなわち国家というのは、ほかの国家が承認することで国家になるのだ)。そういう自前の旅券を持っている人の集まりでかんじることは、国家に抗する運動は国家の中で具体的に行われるものだが、それは国家を超えて連帯するべきだろう(たぶんそのことによって、「国家」なるものを揚期できるのではないか、と自分は考えた)。あとは具体的な問題に関与しないで声高に弾ガイするのはまやかしよ。
「助ける」ということについて ・・・ 援助と助けるは異なる。援助は国家のような大きな組織が大きな金額を使うこと。それは、援助される国の貧しい人、弱い人をさらに苦しくすることになっている。「助ける」の場合、「助けられる人」は助けられたいという要求をもっている、そしてだれが「助けられる側」なのかを十分に見極める。助けるは一人ひとりの人間に根ざした「手から手へ」の行為。あと、大きな問題を批判するとき、批判される側は小さな問題を取り出してその効果を強調する。重要なのはそのような部分を積み重ねても全体にはならないということ。例は、南京大虐殺と「百人斬り」。
旅で ・・・ 短いのでパス
英語、そして、ことばについて ・・・ 英語教育は「植民地教育」「天才教育」「金持教育」のいずれか。そこでは教える側が教わる側よりも優位に立っていて、また教わる側は自分の持ってきたものをすべてを捨てることを要求される。そして英語をうまくしゃべれるようになると、自分の持ってきたものを培ってきたところを嫌悪したりダメなものだと思うようになる。そういう英語を学ぶ・まねるよりも、自分の言葉の延長でほかの言葉をしゃべることができ、同じように英語の下手な人と意思疎通できるようになったほうがよい。ついでに、生活の暮らしの言葉でない言葉でものをしゃべること(たとえば「資本論」の翻訳語でアジ演説をすること)も、上記の教育的な言葉使いと同じ。
旅から日本をふり返る ・・・ 戦後はみんな等しく貧しかったが、その後の経済発展で大きな収入を得ることができるようになった。その結果、収入の大きい側でものを考えるようになり、いまでも貧しい人たちを無視したり、けなしたり自分のために利用するようになった。また、しきたりとか伝統とかを重要にするようになり、保守化している(その行為や考えがどのような根拠を持っているのか、ほかの人たちがどのように考えているかに思いをはせないようになること)。戦後の貧しい時期には、人びとはことばやほかの人に対して敏感であった。自分が貧しいところやほかの国からこの国が無視しているというところからものを考えていた。そういう考え方を回復することは重要。


 著者にとって状況は「現場」に足を運んで、そこにいる人/住む人と話をし、行動を共にすることで認識するもの。なので、彼は書斎を重要にしないし、書籍や雑誌、新聞などの情報に依拠しない。ときには状況は自ら作り出す。彼の行ったのでは「ケイダンレン」デモがある。
 ただ、1973年を振り返ると、彼らの運動、世直し運動は難しいところに来ている。広範な支持を得ていたヴェトナム反戦運動は、パリ和平会談の進捗があって終焉することが予想されてきた(北爆が再開された一方で、アメリカ軍の撤退が始まっていた)。そのうえ、数年前にはそれなりに市民の支援があった新左翼の運動が陰惨なリンチ殺人、盗難した銃の無差別発砲、理解しがたい差異で起きる内ゲバと殺人などのおかげで急速に退潮していく。そこにニクソンショック石油ショックで経済成長がマイナス成長に落ち込み、インフレと物資不測が起こる。神秘主義と終末論の流行などは人々を内向きにして、受け身に変えていく。利己主義とシニシズムが生まれていた。当時の言葉だと、マイホーム主義と三無主義(無関心・無気力・無責任)だ。「敵」はいる、それはこの苦しい生活と未来のなさでわかることだ、でもどこのだれにぶちまけるのか、どこのだれを糾弾すると変化が起こるのか、それが見えてこなくなった。そのような時代に状況を作り出すことの困難、人々に伝えることの困難。その苦闘の記録。