1967年後半と1968年前半の短編。一緒に収録されたエッセイによると、このころから中間雑誌の依頼が増えたという。中間雑誌の当時の読者層はSFになじみがないので、SF的なアイテム、ガジェット、用語などを使わないようにと制限を受けたらしい。作家にとっては自分の得意技を封じられたことになる。ではそこにおいてどのように書くか、どのように存在感を示すか。この年は試行錯誤の時代。しっかり乗り越えた経験が、のちに文芸誌にドタバタやSF小説を、中間雑誌に実験作を発表できるようになる下地になる。
悪魔の契約/007入社す/飛び猫/池猫/幸福ですか?/ながい話/わかれ/遊歩道/欲望/踊る星 ・・・ ショートショート
擬似人間 1967.06 ・・・ 人工臓器に取り換えて三百歳になった男。
東京諜報地図 1967.07 ・・・ 新進SF作家とは世を忍ぶ仮の姿、実はKGBのスパイ。今夜も密命のために、東京のネオン街に飛び込む。逆になった「色眼鏡の狂詩曲」。このキッチュさは岡本喜八「殺人狂時代」1967年2月公開、「007は二度死ぬ」1967年6月公開によく似ている。
アルファルファ作戦 1967.08 ・・・ 若いものが地球の外に出て、老人(200歳越え)ばかりが残った養老院。ハチかクモのような昆虫型宇宙人の侵略を受ける。爺さん、婆さんたちが「思い出」のために立ち上がった。どうやらむこうも養老院に収容された老人たちらしい。カットナーかブラウンのSF短編みたい。参考エントリー:ビオイ=カサーレス「豚の戦記」(発表はこっちがあと)。
窓の外の戦争 1967.08 ・・・ 窓の外で社会や世界の騒乱が起きている。それを無視してテレビを見るのに夢中の親子。これは今でも通用するな。窓の外の事件は注釈が必要になってしまったが。
人形のいる街 1967.08 ・・・ 原宿表参道の芸能記者とプロデューサーの会話。これの発展形が「イチゴの日」「歌と饒舌の戦記」の冒頭なのだろうなあ。
一万二千粒の錠剤 1967.08 ・・・ 長命の薬の被験者は全国120人。それが新聞にのったものだから。この住民のエゴと暴力は永井豪「デビルマン」のラストシーンに重なるな。
吾輩の執念 1967.08 ・・・ 公団住宅にあたらないものだから親子3人が荒物屋の6畳一間に住んでいる。ノイローゼになりかけたところに、莫大な遺産相続が転がってきた。
近所迷惑 1967.10 ・・・ ハインライン「歪んだ家」が世界規模で起きたと思いなせえ。こういうほら話は広げた風呂敷をたたむのが大変だが、ここではまあそれなりに。
露出症文明 1967.10 ・・・ 顔テレを買うことになったら、電話局の役人に意地悪な対応をされて。買ったら買ったで女性が使いっぱなしで。電話が公共事業で、かつ電話加入権が資産計上できるという時代だった。ここに書かれたことはスマホの登場でほぼ実現されたが、「顔テレ」(Facetime)は俺も使わないなあ。
活性アポロイド 1967.10 ・・・ 化学者の息子がテニスボールほどの器具をつくって大儲けしたと思いなせえ。自慰をおおっぴらに書いたりしゃべったりできるのはこの国くらいなものだろうなあ。
メンズ・マガジン一九七七 1967.11 ・・・ 女権解放に飽きた時代の男性雑誌編集部のてんやわんや。
ヒストレスヴィラからの脱出 1967.11 ・・・ 失敗した男が辺境の地に旅した。帰って来いという手紙が来たので、帰ろうとするのだが。つげ義春「ねじ式」は1968年だったか。この悪夢は「乗越駅の刑罰」「虚人たち」「夢の木坂分岐点」などずっとに続く。架空の動植物の博物誌(「メタモルフォセス群島」「私説博物誌」など)。
台所にいたスパイ 1967.11 ・・・ 家族はMGBとMI6とCIAのスパイ。互いに監視しているのがばれてきて。「東京諜報地図」の前日譚。「おれの血は他人の血」の先駆。
スペードの女王 1967.12 ・・・ ポーカーに負け続けたエリートは、恋人を賭けにするといってきた。最後の段落はなくていいな。スペードの女王は不吉なカード。プーシキンに同名の短編がある。
最後のクリスマス 1967.12 ・・・ 恋人の家に来るサンタクロースは水爆実験の被曝者。このころ米ソの核実験が盛んに行われた。
脱出 1968.01 ・・・ スパイドラマで有名になった塩田正三、いやミッキー安川。テレビ局をでたが、刑事に尾行され、女スパイの部屋に入り……。テレビの虚構が現実に侵食して、塩田いやミッキーはブラウン管の外に出たい。「脱走と追跡のサンバ」の先駆。
寒い星から帰ってこないスパイ 1968.01 ・・・ 自分は優秀なスパイと思い込んだ男が寒い星に派遣される。ル・カレの長編とか、ヒッチコック「引き裂かれたカーテン」、007にナポレオン・ソロにとスパイブームだった。
旅 1968.02・・・ 32世紀の4人の人間の意識が仮借体に投影されて、転生を繰り返し、よく知られた物語を再演する。バーチャルリアリティのない時代の仮想現実の記述の試み。
腸はどこへいった 1968.03 ・・・ 腸がクラインの壺になってしまった。
にぎやかな未来 不明 ・・・ 公共放送すべてにCMが入ることになり、ラジオにもレコードにもCMが入る。
人口九千九百億 1968.03 ・・・ 火星から来たら地球は人口が9900億人になっていた。筒井版レム「星からの帰還」。バラード「至福一兆」@時間都市。
アフリカの爆弾 1968.03 ・・・ アフリカの辺境部族が5000ドルで国連軍から核ミサイルを買った。運搬具がないので、人力で運ぶことになった。
全集5には「平凡パンチ」に連載された「ヤング・ソシオロジー」が載っている。まあ、筒井版「ずばり東京」by開高健だ。作家はノンフィクションに向いていないらしく、東京の最近のできごとを取材しても、深く観察・思考することはない。そんなことより、この取材で得た素材をこのあと十数年かけて、小説のネタにしているのに驚いた。CM、アングラ、同人誌、ウェートレス、雀荘、モデル、ゼンガクレン、ディスクジョッキー、週刊誌など。即座に、あれこれの短編長編が思い当たる。いやあ、貪欲だなあ、熱心だなあ、勉強家だなあ。すごいなあ。
その代わりというのもなんだが、上に書いたように試行錯誤の時代。純然たるSFは堅苦しいし、現代を舞台にしたのは対象への切り込みが浅いし。タイトルにあげたものが佳作で、これはSFと風俗小説がうまく混交したもの。そうでないのは、スパイの陰謀論めいたものか、21世紀の人権意識からすると受け入れがたいものとがある。この場にとどまらず、問題を克服して数年後に飛躍できたのがすごいところ。