大江健三郎
「万年元年のフットボール」1967年を書き終えて、次の長編にとりかかるのが大変(次の長編「洪水は我が魂に及び」がでるのは1972年で間があいている)。そこで、紀伊国屋ホールで毎月1回の講演をすることで、小説を書くこと、想像力を使うこと、社会や現実…
沖縄の施政権返還が政治日程にはいっていたころの1969-70年にかけての連載。当時沖縄にいくには、パスポートとヴィザが必要。なので、行き来ができなく情報の乏しいところだった。そこで、作家は沖縄に行き、沖縄の人と会い、運動に参加し、歴史を紐解き、現…
1970年初出。著者34歳の評論集。タイトルは暴力にさらされるこわれもの(fragile)としての人間を考え、それは核時代の人間の「自由」を考えることであるという認識からつけられた。 出発点、架空と現実 ・・・ 谷間の村の幼年期の記憶。歴史的遠近法を使うと…
重藤文夫(シゲトウフミオ:1903−1982)は、放射線医師であることと、原爆病院の初代院長であることくらいしか知られていない。 重藤 文夫(シゲトウ フミオ)とは? 意味や使い方 - コトバンク まず、この人の経歴がすさまじい。広島近くの村で生まれ、医師に…
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」新潮文庫と同じ内容であるが、自分の読んだのは新潮社版の「大江健三郎全作品 II-2」。なので、新潮文庫版とは収録作品が異なり、並び順が違う。この感想では、とりあえず新潮文庫にならう。「大江健三郎全作品 II-2…
「みずからわが涙をぬぐいたまう日」講談社文庫と同じ内容であるが、自分の読んだのは新潮社版の「大江健三郎全作品 II-3」。なので、講談社文庫版とは収録作品が異なる(たぶん講談社文庫版には「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」がない)。この感想で…
2016/02/04 大江健三郎「みずからわが涙をぬぐいたまう日」(講談社文庫)-1 続いて中編ふたつ。 みずからわが涙をぬぐいたまう日 1971.10 ・・・ 「かれ」は病棟に入院中。セロファン紙を貼った水中眼鏡を離さず、雇いれた「遺言代執行人(あるいは看護師)…
1973年初出。「敗戦の現実に立ち、終末観的ヴィジョン・黙示録的認識を、その存在の核心におくようにして、仕事を始めた人びとこそを戦後文学者と呼びたい(P71)」。そのような戦後文学者の素描。 敗戦の日、ないしその前後に何をしていたか、その経験がその…
世界はいずれ(近いうちに)大壊滅にあうだろう。大地震か、核の爆発か、環境汚染の結果か、いずれとも決め難いのだが、その予兆はいたるところにあり、どうしがたいところまで来ている。なので、われわれは世界が壊滅し、人類が滅びるときに備えて、撤退の準…
2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1 核シェルターに引きこもっている大木勇魚はなにものかに監視されている。遊園地の中で警官が襲われるのに遭遇したり、深夜にシェルターのコンクリートの壁になにごとか書かれていたりして、彼が…
2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1 2016/01/29 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-2 の続き。 小説の場所に注目。長い長編ではあるが、舞台はとても限定的。 1.勇魚は開発途中の郊外にある斜面に作られた家に住ん…
2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1 2016/01/29 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-2 2016/01/28 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 下」(新潮社)-1 の続き。 発表された1973年には、「自由航海団」の無軌道かつ暴力…
2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1 2016/01/29 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-2 2016/01/28 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 下」(新潮社)-1 2016/01/27 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 下」(新潮社)-2 エ…
冒頭の「このノートのためのノート」によると、収録されたエッセイは「洪水は我が魂に及び」を書き進める作業における自分自身の臨床報告で、長編を方法的に整備するもの(実際に雑誌「新潮」に1970年から1973年にかけて断続的に発表)。最終稿からは取り除…
1973年に雑誌「世界」に連載された論文集。同じ雑誌に小田実が「状況から」というエッセイを連載していて対になる。 作家からみた1973年だと、ベトナム戦争の継続(と終焉の予感)、被爆者援護法、金大中誘拐拉致事件、田中角栄訪中、公害反対運動、終末論や…
プロットとストーリーが錯綜していて、読者はそうとうにこんがらがるのじゃないかな。この国の原子力政策と原発産業の利権をもっている「親方(パトロン)」である「大物A氏」が、敵対しているはずの左翼党派に資金援助して私的に核武装する陰謀をたくらんで…
2016/01/21 大江健三郎「ピンチランナー調書」(新潮文庫)-1 この小説は枠物語にもなっていて、なぜ書いたのか、誰が書いたのかの入り組んだ説明がある。すなわち冒頭の章の語り手は障害を持った子供を持つ小説家の「私」。同じ障害のある子供を持つ「森・父…
それまでは若い作家としてエッセイ、随筆など短い文章の依頼は積極的に受けていて、それを集めるとぶっとい3巻本になった(「厳粛な綱渡り」「持続する志」「鯨の死滅する日」文芸春秋社)。30代半ばになって、文学、状況と講演を主にした本にしていこう…
1977年から翌年にかけて、「大江健三郎全作品第II期」全6巻(新潮社)が刊行された。その際に、各巻末に「わが猶予期間(モラトリアム)」を総タイトルにしたエッセイが収録された。のちに、岩波書店で刊行された「大江健三郎同時代論集全10巻」のたしか第9…
時間と場所を転々として、えんえんと語り続けるナラティブを読み通すのはなかなか大変。現在(1979年初出)のメキシコを語る文章が、次には20年前の都会の下宿になり、その先では神話の時代の山中になり、そこでおきるできごとは相互にイマジナリーなつなが…
2016/01/15 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1 繰り返すけれども、このエントリーでは村=国家=小宇宙の神話と歴史を詳述しない。「M/Tと森のフシギの物語」(岩波書店)で語られたものの差異を指摘するようにまとめる(発表順と一致しないのだが、今回…
2016/01/15 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1 2016/01/14 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-2 全体のクライマックスである五十日戦争が語られる。ここは水滸伝とか三国志演義のような知恵と謀略の合戦を楽しもう。こんな戦闘は読者と地続きのこ…
2016/01/15 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1 2016/01/14 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-2 2016/01/13 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-3 この小説を出す前に作家は「小説の方法」岩波書店を出していて、そこにこの小説のたくらみが詳…
2016/01/15 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1 2016/01/14 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-2 2016/01/13 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-3 2016/01/12 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-4 村=国家=小宇宙は、この小説を読むことで…
1978年初出、岩波現代選書の第1巻。 40歳になって振り返ると、小説をいわば本能的に書いてきて、それなりの成功を収めてきたけど、方法が貧しくなり、小説の力が薄れたように思ったのではないか。そこで、どのように小説を書くかを自覚的に明らかにしなけれ…
「小説の方法」を書いて、理論編を書いた。実作に応用したのが「同時代ゲーム」。ここでは、ほかの作家の小説を彼の見つけた方法論を用いて、文芸時評を行う。1978年から79年にかけて朝日新聞の時評欄に24回連載した。あとがきによると、文芸時評を再開する…
1980年の前半にまとめて発表された短編と中編を収録。個人的な記憶でいうと、収録された小説はのちに単行本にまとまるまで待たず、初出雑誌を入手してリアルタイムで読んだのだった。大学図書館や書店をさまよっていた時の記憶が懐かしい。 頭のいい「雨の木…
しばらく短編を書いてこなかった著者が1980年に久しぶりに短編を書いた。前作は「みずからわが涙をぬぐいたまう日」1972年だから10年ぶり。その久々の短編が「頭のいい雨の木」。この「雨の木」のイメージに武満徹が触発されて同タイトルの作品を作曲し、そ…
「『雨の木』を聴く女たち」連作の区切りをつけた作者は、ふたつの契機があって、自己の生の振り返りと「死と再生」のイメージを構想することになる。ひとつは、自分が50歳になり人生の半ばを過ぎたことと、もうひとつは障害を持つ息子が20歳の成人になった…
収録されたエッセイのうち、「読書家ドン・キホーテ(朝日ジャーナル1972年11月3日号)」に注目。 作家は1965年から7年間、週刊朝日の書評委員を担当してきた。7年間で350冊あまりの本を紹介してきた。その仕事を終えたので、まとめを書いた。国内の文学を取…