odd_hatchの読書ノート

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山口昌男「流行論」(朝日出版社)

 週刊本の第1冊。ここから始まったが1年もたたずに終えた。この本では最初の章が語りおろしで、残りは雑誌に掲載された論文なのだろう。論文のテーマが雑獏なので、最初の語りでまとめを付け加えたといえる。

流行論 ・・・ 共同体に流行が生まれるのは、差異性を感じさせるものが古くなった時間を再生して、新しい力を生み出してくるから。というのも、人はアイデンティティの同一性の保持のために継続すること、繰り返されることが重要なのだが、それだけでは不十分。なんとなれば、その継続や繰り返しの間に心の過剰な部分が蓄積されていき、時々放出しないといけないから(放出しないと暴力や破壊に向かうわけでそれでは共同体が維持できない)。そこでとられた戦略は過剰なものを体現するものを王または被差別者として区別し、そこに過剰を押し付けること。後、定期的に過剰なエネルギーを放出する祭を行うこと。そこで共同体の富と一緒に心の過剰を放出して、普段に戻れることになる。で、あたらしさとか珍奇性とかをもたらすのは、古いものの再発見である。それもまた古くなると別の古いものを持ち出す。まあその繰り返しが流行になるわけ。こんな具合。こういう象徴的な思考には慣れていないので、追うのが大変。科学の目からすると、論理の飛躍もあったりするけど(ないし実証に支えられていない理論が別の局面で使われるとか)、まあ語りの勢いに圧倒された。
神話と否定性の原理 ・・・ 神話的な思考においては、秩序=文化で反秩序=自然、で人間社会の創造神は荒くれのエネルギーと生産の力を持っている。トリックスターと英雄の混淆。悪と善は明確に分けられず、両義的。そういう事例を中近東、中国、日本の神話にみる。
神話と共同体 ・・・ 今度はギリシャ神話。詳細は抜きにすると、神話では最初に悪とか穢れたもの、醜いものなどが生まれ、それが殺されたり退治されたりすることで秩序を回復するというところかな。あわせて、これが古い時代には生贄の儀式として継続されていた。そこでは貧しいもの、醜いものが公共費で養われ、祭儀のときに引き回されたうえで追放された(おうおうににして町のはずれで殺された)。
マーフィの小宇宙 ・・・ ベケットの「マーフィー」について。そこから話はフッサール現象学的還元にいくのだが、どちらもよく知らないので、何を言っているのかわからなかった。すみません。
ゴヤの冥界下降 ・・・ ゴヤが登場するのは、彼がカーニバルの絵とコンメディア・デ・ラルテの絵を描いているから。

 これらに加えて、内と外の話(共同体はまず内の範囲を決めてそこから逸脱するものを外にしたのだよね)、両義性(英雄とトリックスター、秩序と混沌、清めと穢れなど対立する項目を一心に体現するものがいるよ)などが書かれる。そこに当時はやったパラノ(偏執的、農業)とスキゾ(分裂的、狩猟)みたいな区分を組み入れたこの議論自身が流行を使って書かれている。一時期、このような言葉を使った議論はたくさんあった。懐かしいなあ。
 では、2012年のこの時代に読まれる意義は?というと、どうもね、と思う。書かれた当時はこの国の経済が好調で、とりあえず<内>を揺るがすものはなかった。アメリカが付ける文句はうるさいから金を払えばいいんでしょ、NICSが成長?まだまだこの国の製造業にはかなわないでしょ、という具合。そのとき、この内と外をめぐる議論は、この国の自己肯定を支えることができた。でも、高度成長はもうないし、予想される高齢化で負担は大きくなっているし、新興工業国には勝てそうもないし、とこの国が自信喪失していては、著者の議論を支持する層がいなくなっている。それに、この議論では現在の問題を解決する視点を供給できない。

流行論 (1984年) (週刊本〈1〉)

流行論 (1984年) (週刊本〈1〉)