零細工場の息子・山崎瑛と大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。生まれも育ちも違うふたりは、互いに宿命を背負い、自らの運命に抗って生きてきた。やがてふたりが出会い、それぞれの人生が交差したとき、かつてない過酷な試練が降りかかる。逆境に立ち向かうふたりのアキラの、人生を賭した戦いが始まった―。感動の青春巨篇
このコピーを読んで、江戸川乱歩「暗黒星」(講談社文庫)のような親子二代の復讐と冒険の活劇を期待した。すっかり肩透かしをくらった。このもやもやした気分をどこにぶつけよう。
二人のあきらがいる。ひとりは潰れた町工場の息子、もうひとりは地方の中堅企業の息子。優秀な二人は東京の有名大学の経済学部にはいり、バブル期に銀行に入社する。最初の社員研修で、模擬プレゼンのファイナルでであう。以後、別の部署でバンカーになる(町工場の息子は中小企業担当、御曹司は大企業担当になる)。御曹司は実家の経営がうまくいかなくなり、20代なかばで社長にならざるを得ない。一族の確執、陰険で能無しの役員、口車に乗せられてお荷物になったリゾートホテルとふんだりけったり。ちょうどバブル崩壊後の金融危機となって、融資は思わしくない。でも御曹司のあきらは打開策をみつけ、町工場の息子のあきらがその企業の担当になり、融資を引き出す。
初出は2017年だが、最初の連載は2006-9年だそう。作家のキャリアの若いころかな。そのせいか、章ごとに出てくる経営上の問題はMBAのアカウンティングやファイナンスのケーススタディににている。昔、アカウンティングの研修を受けたことがあるから、キャラたちの説明は納得できるものでした。小説でMBAのような検討ができるというのはそういうのを目指している人にはいいのではないの。
どうも突き放した感想になるのは、いつものようにマリオネットみたいなキャラが善悪がはっきりと分けられていて、最後に留飲をさげられるような勧善懲悪の物語になっているのは置いておくとして、1990年代の金融危機では銀行が不良債権を抱えて、それ自体の経営が危うくなり、小説のような親身な対応をするどころか融資をむりやり返金させ、同額を新規に貸し付けるという約束を反故にするという貸しはがしをやっていたから(日本経済新聞社編「金融迷走の10年」日経ビジネス文庫が参考になる)。なので、この小説はおとぎ話にしかみえないのだよ。
それに、経営の判断が実務にあたっている社長や役員よりも、優秀なバンカーの稟議のほうが正しいというところも。自分があったことのある銀行や証券会社の人たちは、個々のビジネスに責任を持たないので、岡目八目で理論的な「正しさ」はいうけど、そこまでだしねえ。(おかげで本書や銀行を舞台にした作者の小説は作者の自己弁護、自己美化にみえてしまうのだ。)
また、つぶれかけたリゾートホテルを外国人観光客向けにして再建するとか、中堅ビジネスの海運会社をアジア航路にすることで拡大するとか、21世紀のゼロ年代にはうまくいきそうな経営判断が10年代の低成長(というかマイナス成長)と諸外国の伸長でどうもうまくいかないのではないかというところも。物流のハブは韓国とシンガポールに移ったし、金融証券も上海や香港のほうが拡大しているし、物つくりで日本はダメになっているし。外国人観光客が増えたのは物価が安いわりにサービスがよい、すなわちサービス業の低賃金に基づく。1990年から日本の給与はほとんど上昇していない。小説の明るさは現実の貧しさを忘れるほどの強さを持っていない。
池井戸潤「銀行総務特命」(講談社文庫)→ https://amzn.to/4aP1KEt
池井戸潤「不祥事」(講談社文庫)→ https://amzn.to/4aNtHwy
池井戸潤「下町ロケット」(小学館文庫)→ https://amzn.to/3Ux9dT9
池井戸潤「ルーズヴェルト・ゲーム」(講談社文庫)→ https://amzn.to/4aPjcIW
池井戸潤「七つの会議」(集英社文庫)→ https://amzn.to/3WdPFo6
池井戸潤「アキラとあきら」(徳間文庫)→ https://amzn.to/3xSRpc7
https://amzn.to/4dd6OEs https://amzn.to/3vW6rgN