odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ミステリー文学資料館 (編集)「大下宇陀児 楠田匡介: ミステリー・レガシー」(光文社文庫)

 発表されたのは戦後ではあるが、大下宇陀児は戦前から活躍している作家なので、戦前探偵小説に含めることにした。

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大下宇陀児:自殺を売った男(1958)・・・ 愚連隊でクスリが手放せない俺は人生に飽きて自殺することにした。しかし未遂になり発見者の縁で東京の製薬会社社長の本宅の居候になる。きれいなお嬢さんに邪見にされ、まあいいやと繁華街(新宿と池袋なのが戦後だ)をうろついていたら、山倉という陰鬱そうな男に声をかけられる。「自殺したいそうだが、その自殺を買った。いやいや金をやるから一年ほど姿を消してくれればいい」。相棒のユキ子が福島に美容室を開くというので、それを資金にすることにした。しばらくは安逸な日々。でもクスリが切れたので、新宿の愚連隊に仕入れに行くと腰を抜かんばかりに驚かされる。おまえ死んだはず。社長と人事の課長にあって、俺は死んでいないと伝えると、お前の死体と遺書がでたために娘の婚約がだめになったといわれる。どうやら、製薬会社ののっとりが画策されているようだ。課長の協力をえて、調べにはいったが、安宿で銃撃されるはめに陥る。アル中の医者に連れ込まれて、傷の手当をしている間にクスリもぬくことになった。動くことができないとき、福島からやってきたユキ子が予想外の探偵ぶりを発揮。濁った俺の頭もクスリが抜けると、少しずつ事態が呑み込めてきた・・・
 探偵のいない犯罪小説*1。犯罪にまきこまれた素人が自分の無実をあきらかにするために、懸命の捜査を行う。戦後に謎解き・犯人あて小説ではない潮流が英米で生まれたが、この国ではすこしあと。たぶんこの小説は早い時期のもの。少し後になると都築道夫が「やぶにらみの時計」「誘拐作成」中短編でこういう趣向を持ち出す。とはいえ、読んでいて既視感を覚え、由来を考えていたら、岡本喜八監督の暗黒街シリーズがこういう巻き込まれ型のサスペンス(アクション)だった。
 この小説のユニークなのは、語り手の「おれ」が頭の弱い、しかし度胸のある青年であるところ。通常は、巻き込まれサスペンスの主人公は頭の良いエリートであることが多いのだが、そうでない粗野な男であるのが珍しい(もっともそうしないと「自殺買います」という誘いには乗らない)。おかげで前半は語り手の言動に閉口したのだが、後半になって「おれ」につるむズベ公のユキ子が頭の良さと抜群の行動力を示し、「おれ」をゆうゆうと乗り越えていく。こういう自立した女性像がみごと。ということは、犯罪捜査の後ろでは、ユキ子のマンハント(亭主狩り)の物語も進行していたわけだ。実際、ラストシーンでは「おれ」はすっかりユキ子の尻に敷かれているし。ここはアイリッシュ暁の死線」に似ている。
 読み始めは「読むのは失敗したか」と思っていたが、自分の死体が出てくるところからは快調で、よかった。海外の趣向を取り入れたのか、自力で開拓したのかはわからないが、大下宇陀児は良い書き手。ただ、著者名とタイトルが古めかしいのが残念。


楠田匡介:模型人形殺人事件(1949)・・・ 台湾帰りの画家がアトリエで射殺される。ダイイングメッセージは「カンダ」。ピストルにはマネキン指紋(?)がついている。しばらくしてマネキンの首が盗まれ、マネキンとそっくりの女が事件の周囲に見え隠れする。マネキンの首を盗んだ男を家に忍び込んだ男は古本屋をでたあと、青酸カリで自殺。組織の命令と思われる。敗戦直後の闇市バラックを背景に、戦前にパリ留学していた男の優雅でスノッブな生活の様子が描かれる。探偵役は田名網警部。この洒脱で肩の力を抜いた警察官は本邦作では珍しい行動性向。警官はいつも硬く気難しく、生活と仕事に疲れ、スノッブなところがないからね。全体として明るく、軽いのは捜査陣の軽妙さにあるのだろう。これは戦前作と比べると新しい。一方、事件は凄惨なうえ、マネキンそっくりの女が事件をかく乱するというゴシックロマンス風(女の正体も第1次大戦前の犯罪小説みたい)という齟齬。そのうえ、アトリエを密室にしたために、謎解きがややこしくなってしまった。もしかしたら、戦後流行ったというカーの影響かもと思うが、発表年とみると、翻訳はまだないはず。そうすると、戦前のおどろおどろしい作風を転換したかなり早い作(大下宇陀児「虚像」1946と並ぶくらい)だと思う(21世紀からみると古風そのものだけど)。
 マネキンが盗まれるという話では、高木彬光「人形はなぜ殺される」1955年、法月綸太郎「生首に聞いてみろ」2004年も共通するので、比較可能(やるきはないです)。
共作短編:執念(1952)・・・ 戦争で父を亡くした母子家庭。敗戦後のインフレで暮らしが成り立たず、再婚することにした。新しい父は子供らを邪険に扱い、母を妾にする。次第に憎悪が募った次男は、父の本宅に行き、女を殺すことにした。義父にはかなわないからだ。雨の夜、実行したのだが・・。ミドルティーンの思い込みとエディプスコンプレックスの心理描写は達者。世の中に復讐すると息巻く男はつねに弱いものを襲撃するというダメさに憤り、感情移入できなかった。
楠田匡介:二枚の借用書 ・・・ 大下宇陀児との師弟関係の思い出。楠田のペンネームは大下宇陀児の長編に由来するとのこと。

 

 楠田匡介は日本のカーを目指した作家。自分が読んだのは本書だけだが、ほかの本や解説によると密室事件にこだわっていたそう。機械的なトリックを使うのにも躊躇しなかったというのも「カー」らしい。とはいえ、文章は生硬。おどろおどろしさに拘泥したのは弱点で、戦前作なら佳作でも、戦後作であっては評価は微妙。