odd_hatchの読書ノート

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リリアン・ヘルマン「眠れない時代」(サンリオSF文庫)

v 「未完の女」は戦争終了後までのことがおもに書かれている。そして1976年に出版されたこちらの「眠れない時代」はまさに非米活動委員会の証言の模様が描かれる。

 非常に単純化して、この時代とヘルマンのことを書いてみると、
・非米活動委員会は1937年設立。おもにナチス関係者の摘発を行っていたが、政治的にはまったく重要ではなく、多くの政治家はこの委員会に関わるのを避けた。それが変わったのは1947年の共和党政権設立のころから。保守的な集団(政治家、資本家、官僚などなど)がこの委員会を使えると考えたのだった。おりからのチャーチル鉄のカーテン」演説でもって、冷戦が始まり、官僚、文化人などの共産党ないし社会主義の協力者のあぶり出しが始まる。ヒス、ローゼンバーグという大物スパイの摘発に成功したものの(現在では冤罪とみなされる:E・L・ドクトロウ「ダニエル書」サンリオSF文庫))、すでに大物はいない状況において、さらに活動がエスカレート。ジョン・マッカーシーの反共演説からさらに活動が強化される。注目を浴びたのはハリウッドの映画人。彼らは戦時中に国際映画を製作していた。その中に共産党員がいるというキャンペーンは、大衆の恐怖をあおることに成功する。でもって、多くの監督や俳優がこの非米活動委員会に召喚され、証言を求められたのだった。反応は3つ。1)自己弁護、ときには友人を無実の罪で告発も辞さない(ノーマン・メイラー「鹿の園」新潮文庫)、2)憲法修正5条をもとにする証言拒否(通常は黙秘権とされるが、この場合は共産党員であることを自白したとみなされた)。そして第3の道がヘルマンの自己の良心に基づく証言拒否、となる。この証言が行われたのは1952年。第4の徹底的な抵抗はなかった。なにしろ全国民が疑心暗鬼になって、彼らを保護・支援するグループが生まれなかった。。
 さて、ポイントは証言拒否が「非人間的で品位(ディーセンシー)に欠け不名誉なこと」に対する生理的嫌悪感に基づくということか。これはなかなかわかりにくい、とくに観念的な考えをする人には。通常、この種の思想で裁かれる人はなにか重要な観念ないし思想を保持するために受難を受けるというイメージを持つから(ユリウス・フチーク「絞首台からのレポート」青木文庫、三木清「読書と人生」(新潮文庫)立花隆「日本共産党の研究 3」(講談社文庫)羽仁五郎「君の心が戦争を起こす」(光文社))。なので、とりわけこの国の知識人には難しい。品位とか矜持とか、そういう内面の「価値」というのは、本音と建前の二重構造を持っているこの国ではね。品位とか矜持というのは、周囲の人との関係で保つものになっているし。
 面白いと思ったのは、リリアンカミュに聞いたという話。「戦時中フランスの地下組織では、拷問されたらできるだけ長い時間頑張って、ほかの人たちに逃げる時間を与えるように、しかしそのために死んだり不具にならないよう、折れて口を割れと命じていたという(P71)」。この国の軍人勅諭との差異をみるべし、かな。非米活動委員会が拉致に拷問までするようになったとき、この命令は有効になるだろうが、「デモクラシー」の国ではそこまでの決意はいらなかった。かわりにマッカーシズムが終了しても、リリアンやハメットたちの名誉回復は行われなかった。
 解説にギャリー・ウィルズという人が「ならず者たちの退場」という論文を書いている。これがアメリカの「デモクラシーの<帝国>」分析をしていることに注意(たぶん1978年)。観念でもって民族を統一し、それを周辺諸国に押し付けるというのはファシズムコミュニズムの国家が得意とするところではあったが、同じく観念による他国と国民支配というのはほかでもないアメリカ自体にあり、その根が独立戦争のときからあるという指摘。まあ、世界初の国民国家であるナポレオンのフランスも革命の輸出をするというデモクラシーの<帝国>であったのだが。なぜ人は観念に取り付かれるのか、観念を基にした正義がなぜ人を殺害するのか、こういう古くてアクチュアリティがある問題に直面することになる。それに対抗する道として、リリアンのやり方は有効であるだろうか。