odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

イギリス文学_エンタメ

ボブ・ショウ「おれは誰だ」(サンリオSF文庫) 善良ではあっても人に迷惑をかけずには旅のできない男の遍歴は「キャンディード」のSF版。

2386年では徴兵に応じたものは過去一年間の記憶を消されることになっていた。しかし、今回応募したウォーレン・ピース(この名前の由来は笑える)は施術に失敗したのか、過去すべての記憶を失ってしまった。まっさらのタブラ・ラサの状態でいきなり兵士にな…

イアン・バンクス「蜂工場」(集英社文庫) 恐るべき暴力性とネグレクト体験を抱えた子供の孤独。ホラー小説なのに救済も安堵もない。

いやあ、怖かった。ここには超常現象もおきないし、怪物も悪魔もUMAも宇宙人も現れない。ほとんどリアリズムの小説なのに、そこらの凡百のホラーにはない恐怖が満ち溢れている。 さて、表紙カバーには「結末は、誰にも話さないでください」と念押ししているの…

ピーター・ディキンスン「緑色遺伝子」(サンリオSF文庫) 白・黒・赤・黄の肌は差別しあい、そのいずれでもない色の肌はもっと差別される。

時代はわからないがたぶん1973年ごろ(小説の初出時の年)。100年ほど前から遺伝子の突然変化が形質化したのか、肌の色が緑色の子供が生まれるようになった(肌の色が白・黒・赤・黄のいずれでもないことに注意)。アングロサクソン系の人たち(もちろんイン…

ピーター・ディキンスン「キングとジョーカー」(扶桑社文庫) 並行世界にあるイギリスの国王が皇室殺人事件を推理する。少女が自立する物語も同時進行。

現在の並行世界にあるイギリス。1977年当時のイギリス国王とその一家(架空の家族)。国王ビクター(医師の免許を持っているというのがおもしろい)に王妃イザベラに、皇太子アルバート(高校生)に、王女ルイーズ(14歳)。そこに国王の秘書ナニー(国王の愛…

P・D・ジェイムズ「黒い塔」(ハヤカワポケットミステリ) 不治の病が集まる療養所では余所者の警部に誰も心を開かない。

「ドーセットにある障害者用の療養所で教師をしていたバドリイ神父が急死した。長年の知人であるダルグリッシュ警視が、折り入って相談があるという手紙を受け取った直後のことだった。はたして神父の相談ごととは何だったのか。休暇を利用して調べをはじめ…

ジェセフィン・テイ「時の娘」(ハヤカワポケットミステリ) 薔薇戦争とリチャード三世を自分の歴史にしている人には大傑作。この国では問題の重大さがピンとこない。

高校時代を思いだすと、世界史授業の中で英国が出てくるのは、12世紀のマグナ・カルタと17世紀の名誉革命と19世紀の産業革命と20世紀の2つの大戦。途中に大航海時代と東インド株式会社がはいるか。たぶんそれくらい。「時の娘」がテーマにしている薔薇戦争(…

ウィリアム・モール「ハマースミスのうじ虫」(創元推理文庫) 匿名の恐喝者をわずかな手がかりからあぶりだす。素人が犯罪捜査をしていいかは疑問。

マンハント(人間狩り)の物語。前半はピーピングと尾行が語られるが、そこに背徳とか罪悪感はない。バルビュス「地獄」との差異は作者の国籍の違いによるのか(実務家のロックと理想家のルソーの違いとか)。主人公が上記のような負の感情を持たないのは、…

マイケル・ギルバート「捕虜収容所の死」(創元推理文庫) 1943年7月の北イタリアにある捕虜収容所の脱走計画と連続殺人。欧米の士官や兵士は収容所の中でも戦闘を続ける

「第二次世界大戦下、イタリアの第一二七捕虜収容所でもくろまれた大脱走劇。ところが、密かに掘り進められていたトンネル内で、スパイ疑惑の渦中にあった捕虜が落命、紆余曲折をへて、英国陸軍大尉による時ならぬ殺害犯捜しが始まる。新たな密告者の存在ま…

ジェイムズ・M・スコット「人魚とビスケット」(創元推理文庫) WW2時代の海難とサバイバルの物語。極限状況で尊厳を貫くことは可能か。

「1951年3月7日から2カ月間、新聞に続けて掲載され、ロンドンじゅうの話題になった奇妙な個人広告。広告主の「ビスケット」とは、そして相手の「人魚」とは誰か?それを機に明かされていく、第二次大戦中のある漂流事件と、その意外な顛末。事実と虚構、海洋…

マイケル・イネス「ある詩人への挽歌」(現代教養文庫)

「ラナルド・ガスリーはものすごく変わっていたが、どれほど変わっていたかは、キンケイグ村の住人にもよく分かっていなかった……狂気に近いさもしさの持ち主、エルカニー城主ガスリーが胸壁から墜死した事件の顛末を荒涼とした冬のスコットランドを背景に描…

マイケル・イネス「ハムレット復讐せよ」(国書刊行会)

訳者解説によると、英国探偵小説作家は、舞台もの・学園もの・田園ものの3つをたいていものするそうだ。これは舞台ものの代表作。なんて英国人は演劇が好きなのだろう。だれもがシェイクスピアの台詞を暗唱できるくらいに習熟しているなんて。たとえばスコ…

レイモンド・ポストゲイト「十二人の評決」(ハヤカワポケットミステリ)

「第一部―陪審。ある殺人事件を裁くために選ばれた十二人の陪審員。彼らのなかには誰にも知られてはいけない秘密を持つ者もいる。そんな陪審員たちの職業や経歴、思想などが浮き彫りにされ、各々が短篇小説を読むような面白さとなっている。第二部―事件。莫…

ニコラス・ブレイク「野獣死すべし」(ハヤカワ文庫) よくある「館もの」ミステリに見えないようにした書き方の勝利。

「推理小説家のフィリクス・レインは、最愛の息子マーティンを自動車のひき逃げ事故で失った。警察の必死の捜査にもかかわらず、その車の行方は知れず、半年がむなしく過ぎた。このうえは、なんとしても独力で犯人を探し出さなくてはならない。フィリクスは…

エドマンド・クリスピン「消えた玩具屋」(ハヤカワ文庫) 「モンティ・パイソン」の先輩の先輩あたりの人が書いたミステリ風ユーモア小説

「月光に誘われ、深夜オックスフォードの町を逍遥していた詩人キャドガンは、ふと一軒の玩具店の前で足を停めた。 開け放しの戸口に興味を惹かれ中に入った彼は、一人の女の死体を発見した。 余り愉快な光景じゃない、そう想った瞬間、彼は頭部に一撃を受け…

ロジャー・スカーレット「エンジェル家の殺人」(創元推理文庫) 所有の欲望を持たない天使が所有をめぐって争う探偵小説。翻訳の文体が事件に合わないのが残念。

「●江戸川乱歩氏推薦――「『エンジェル』には感歎のほかありません。(中略)筋の運び方、謎の解いて行き方、サスペンスの強度、などに他の作にないような妙味があり、書き方そのものが小生の嗜好にピッタリ一致するのです。(中略)アアなるほどその通りその…

ヘンリ・メリル「メルトン先生の犯罪学演習」(創元推理文庫) こちこちの謹厳な大学教授が語る完全犯罪のすすめ。英国流ブラックユーモア短編集。

法理論とローマ法の権威メルトン教授はしたたかに頭を打った。そのまま講義をすると口に出るのは完全犯罪の話ばかり。事態を憂慮した学部長の権限で精神病院に入院する。もちろん抜け出した教授は偽名でホテルに泊まるが、警察の捜査はそこまで進んでいた。…

フィリップ・マクドナルド「ゲスリン最後の事件」(創元推理文庫) リストに書かれた十人が次々死んでいく。おまえ、それはいくらなんでも、というような解決に仰天。

「イギリスからアメリカへと向かう旅客機が落下し、墜落直前に機外へ放り出された作家のエイドリアン・メッセンジャーは謎の言葉を残して絶命する。ロンドンをたつ前に、彼はスコットランド・ヤードの友人に一枚のリストを手渡していた。それには、十人の氏名…

フィリップ・マクドナルド「ライノクス殺人事件」(創元推理文庫)

「ライノクスの社長フランシス・ザヴィアー・ベネディック、通称F・X。会った者はたいてい彼のことを一目で好きになる。しかし唯一の例外たるマーシュは、彼に恨みを抱き続けているという。積年の確執に決着を図るべくマーシュとの面談を約した夜、F・X…

クリストファー・ブッシュ「100%アリバイ」(ハヤカワポケットミステリ) 鉄壁のアリバイをあまり頭がよくない警察官が捜査する。のんびりしすぎて今日的ではない。

1920年代の欧米ミステリ黄金期の作品として「完全殺人事件」が常にあげられていて、中学生のときに新潮文庫で友人に借りて読んだ(当時は創元推理文庫版もあって、2種類がでていた)。内容はさっぱり覚えていない。クロフツ張りのアリバイ崩しものということ…

クリストファー・ブッシュ「完全殺人事件」(講談社文庫) 「完全殺人」を予告する愉快犯を実直な捜査で追い詰める。乱歩が黄金時代ベスト10の番外に選出した佳作長編。

「その朝、マリウスと署名された慇懃無礼きわまる投書がロンドンの主な新聞社と警視庁に届いた。興味本位に受け止められ、あるいは持て余された文書は、結果的に五紙が掲載、英国全土に話題を撒いた。第二第三の手紙で日時と場所を指定し、正面きって「完全…

イーデン・フィルポッツ「医者よ自分を癒せ」(ハヤカワポケットミステリ) 医師にして殺人者が自分の犯罪を告白するという犯罪小説。自分と他者との間の対称性を意識しない皮相な意識が殺人を犯す。

医師にして殺人者が自分の犯罪を告白するという犯罪小説。ヘクター・オストリッチは頭がいいが、内向的で自尊心の強い青年。彼がチャンスをもとめて田舎町に来た時、その町の不動産会社社長の息子が射殺されるという事件が起きた。警察と探偵が必死に捜査す…

ジェイムズ・ヒルトン「学校の殺人」(創元推理文庫) 犯人あてとしてはダメダメだが、別の見方をすると大傑作。油断してはならない。

学校といいながらもこの国の軽い小説に出てくるような学校ではない。貴族の師弟が寄宿生活を送るパブリック・スクール。昔ながらの自治が認められ、警察の介入は受け入れず、教師も生徒もジェントルマンとして堅苦しい(と見える)態度を崩さず、なかなか本…

アルフレッド・メースン「矢の家」(創元推理文庫) 「グリーン家」「Yの悲劇」に先行する館ものミステリーの古典

「ハーロウ夫人がなくなって、遺産は養女に残されることになった。そこへ義弟が登場し、恐喝に失敗するや、養女が夫人を毒殺したと警察へ告発した。養女は弁護士に救いを求め、パリからアノー探偵が現地に急行する。犯人と探偵との火花を散らす心理闘争は圧…

アラン・ミルン「赤い館の秘密」(集英社文庫) 人物がやわらかくて暖かく悪人の一人もいない世界で起きた田舎のおとぎ話。

「《くまのプーさん》で夙に知られる英国の劇作家ミルンが書いた唯一の推理長編。それも、この1作でミルンの名が推理小説史上に残った名作である。暑い夏の昼さがり、赤い館を15年ぶりに訪れた兄が殺され、家の主人は姿を消してしまった。2人の素人探偵のか…

ロナルド・ノックス「まだ死んでいる」(ハヤカワポケットミステリ)

「召使のマック・ウィリアムは、空の明るい間は仕事を続ける人間の例に漏れず、早起きだった。 その朝も、山々の頂から夜明けの灰色の光が覗きかかった頃には、もう細君や子供を家に残し、いつものように、ブレアフィニイの方角へと歩いていた。 だが……この…

ロナルド・ノックス「サイロの死体」(国書刊行会)

「イングランドとウェールズの境界地方、ラーストベリで開かれたハウスパーティで、車を使った追いかけっこ〈駆け落ち〉ゲームが行われた翌朝、邸内に建つサイロで、窒息死した死体が発見された。 死んでいたのはゲストの一人で政財界の重要人物。 事故死、…

ロナルド・ノックス「陸橋殺人事件」(創元推理文庫)

「こんなじめじめした日の午後は、気分転換のために人殺しでもやってみたくなるものだが─剣呑な台詞を契機にした推理談義がもたらしたか、雨上がりのゴルフ場で男の死体を発見した四人組。すわこそ実践躬行とばかり、不法侵入に証拠隠匿、抵触行為もなんのそ…

イズレイル・ザングウィル「ビッグ・ボウの殺人」(ハヤカワ文庫) 乱歩が激賞した密室トリックの古典。19世紀末倫敦の風俗と労働運動事情がわかる貴重文献。

というわけでしばらくイギリス探偵小説を特集する。 「12月初めのその朝、ロンドンのボウ地区で下宿屋を営むドラブダンプ夫人は、いつもより遅れて目を覚ました。下宿人のモートレイク氏は労働運動指導のため、すでに出かけてしまったと見える。霧深い冬の朝…

コリン・ウィルソン「賢者の石」(創元推理文庫) 「価値体験」を繰り返す「意識の進化」で超古代から続く宇宙的闘争を幻視する。ニセ科学・オカルト満載で中二男子が通る道を高尚に描く。

死の問題にとりつかれた一人の青年が永生を夢みて不老長寿の研究を始める。研究は前頭前部葉の秘密に逢着し、彼は意識をほとんど無限に拡大し、過去を透視できるようになる。パラドックスを伴わない真の時間旅行がここに初めて実現する。だが意外な妨害が………